大相撲を見ていると疑問に思うことがあります。

その一つが「立会いが合いませんね~!」ということです。

みなさんは「立会いが合わない」とは一体どういう意味かご存知ですか?

本日は「立会いが合わない」の意味についてお話ししますね。

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大相撲の立会いが合わないとはどういう意味?

大相撲を見ていると「立会いが合いませんね~!」という言葉をよく耳にしますね。

これは「お互いの呼吸が合いませんね~!」という意味なんです。

【 立合い 】

立合い(たちあい)とは、相撲において、両力士が蹲踞(そんきょ)の姿勢から立ち上がって取組を開始する瞬間のことを言います。

双方の力士が互いの呼吸をあわせて「立ち合う」のです。

立合いにおいては、まず蹲踞(そんきょ)の姿勢から両者が立ち上がり、目を合わせつつ腰を落とします。

そして上体を下げて片手を着きます。

この瞬間が最大の山場です。

お互いの呼吸が合ったら両者が共にもう片方の手を着いて相手にぶつかって行きます。

双方の気が合わない場合は気が合うまで何度も繰返します。

このように競技者双方の合意によって競技が始まるスポーツは世界的に見ても極めて稀な形態です。

フランスの詩人ジャン・コクトーは日本の大相撲を見て感嘆し「バランスの奇跡」と絶賛しています。

【 はっきょい!のこった! 】

「はっきょい!のこった!」は行司(ぎょうじ)さんの掛け声ですね。

この掛け声が試合開始の合図であると勘違いしている人が実は多いんです。

これはアマチュア相撲やちびっこ相撲などの影響です。

特にちびっこ相撲では競技者双方に両手をついた状態で待機させ、審判(行司)が「初め!」の合図で試合を開始させることが多いです。

それは大相撲のような呼吸を合わせるという部分を子ども達に理解させるのが難しいからです。

他のスポーツにおいて子ども達が競技する場合、ルールを簡略化するなどして競技しやすいようにしているのと同じです。

しかしこの立会いが相撲の最大の魅力であり特徴なんです。

【 立ち会いの重要性 】

相撲においてはこの立ち会いが勝敗を決する重要な要素となっています。

一般的に相撲では「立ち会いで試合の8割が決まる」と言われています。

立ち会いにおいて有利な(得意な)体勢に持ち込んだ方が勝つといわれています。

相撲の決まり手のほとんどが「寄り切り」や「押し出し」であることからもそのことが理解できます。

別の見方をすれば「相撲とは立ち会いの格闘技である」とも言えます。

【 相撲は呼吸を合わせる格闘技 】

相撲はお互いの呼吸を合わせて立たなければ立ち会いが成立しません。

相手に合わせて立つと言うことです。

つまり自分の都合だけでは試合を始められないんです。

必ず相手の呼吸に合わせることが必要になってきます。

これは相撲道の精神です。

相手があってこその相撲。

相手を思いやり、呼吸を合わせることが大切なんです。

ところが相撲は試合でもあります。

勝たなければ番付も上がりません。

そこで少しでも自分に有利な立ち会いをしようとして、ここに駆け引きというものが生まれてきます。

「相手に合わせて立つ」ことと「自分の得意な体勢に持ち込む」という全く相反することを立ち会いの一瞬に行なわなければならないんです。

その立ち会いの駆け引きが相撲の難しいところであると同時に魅力でもあります。

かつての大横綱双葉山(ふたばやま)関は、「気が充実したらいつでもいらっしゃい!」という姿勢で下位の力士の立ち会いを受けていました。

それでも一瞬にして自身の有利な体勢に持ち込んで勝利していました。

それが希代の大横綱と呼ばれる所以(ゆえん)です。

今でも横綱白鳳関などが双葉山関を目標にしていると公言しています。

力の差が歴然としていればそんな余裕もあるのでしょうが、力が同程度ならば如何に立ち会いを有利にするかを優先させてしまいます。

そのためなかなか手を着かなかったり、腰を下ろさなかったりというような「合わせる気が全くない」態度の力士が出て来ます。

でもそんなことは昔の相撲には何の問題もありませんでした。

なぜならばお互いの呼吸が合うまで何度でもやり直しをしていたからです。

時には1時間以上も仕切りを繰返していることもありました。

それは立ち会いこそが相撲そのものだったことを表しています。

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大相撲の立会いが合わない原因とは何?

昔の相撲はお互いの気が合うまで何度も繰り返していました。

昔の立会いは双方の力士の気がピッタリと合った瞬間に試合が始まっていました。

お互いの気が合わないと、気が合うまで繰返します。

そのため、なんとしてでも勝ちたいと立ち会いに小細工を入れようとしても入れることが出来なかったんです。

【 立ち合いの制限時間 】

ところが1928年の初場所から制限時間が設けられるようになりました。

これは実はラジオ放送の開始に伴うものでした。

なぜならば制限時間を設けなければラジオ放送終了までに全ての取り組みが終わらないからです。

特に終盤の人気力士の取り組みが最後まで放送されないのは致命的です。

おそらく時間制限の導入に反対した人が当時もいたはずです。

でも時代の流れには逆らえなかった。

また当時時間制限の導入が後にこれほど大きな問題になるとも予想できませんでした。

そのような事情から立会いに制限時間が設けられるようになったのです。

アナウンサーが「制限時間一杯です!」と言っているのはこの事を意味しています。

制限時間が相撲の元々のルールではなくてラジオ放送開始による事情だったというのが面白いですね。

昔は今ほど時間に厳しくなかったおおらかな時代でもありました。

制限時間が設定された当初は幕内力士の取り組みが10分でした。

ところがこれも短縮化が図られ現在の幕内力士の制限時間は4分となっています。

十両力士は3分、幕下以下の力士は2分です。

この制限時間の設定により新たな問題が発生しました。

【 制限時間設定による問題点 】

相撲が両者の呼吸を合わせることによって成立していたのに、時間制限を設けることによって「待ったなし!」という状況が生まれてきたのです。

これは「お互いの呼吸がイマイチ合ってなくても制限時間だから仕方ない!」という意識を生み出しました。

さらに「制限時間になってから立てばよい」という意識も力士の中に生まれてしまったのです。

これは大きな問題でした。

それまで両者の息があった時にのみ立ち会いが成立していたのに、制限時間を設けることによって強制的に息を合わせる必要が出て来てしまったのです。

さらに制限時間前の仕切りがただの儀式になってしまったのです。

つまり立ち会いが「両者の息が合った瞬間」ではなくなってしまったのです。

ここから立ち会いにおける両者の駆け引きがさらに巧妙になって行ったのです。

現在の大相撲が抱えている「立ち会いが合わない!」という問題は、立ち会いに制限時間を設けたことがそもそもの原因になっているのです。

制限時間がなければ立ち会いが合うまで何度でもやり直せるからです。

まとめ

これまで大相撲の立ち会いには「相手を思いやり、呼吸を合わせる」という相撲道の精神と勝つことへの執着と言う相反する二つが複雑に絡み合っていることをお話してきました。

そしてその根本的な原因が立ち会いに制限時間を設けたことであることも。

もしかしたら制限時間を撤廃することで立ち会いが合わないという問題が解決するかも知れません。

でもそうなると取り組みが何時に終わるか誰も解からないという別の問題が浮上してしまいますが・・・。

そんなことを考えながら大相撲を見ていると面白いですよ~!

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