ヨロブン、アンニョンハセヨ!

私は韓国語を話せるようになりたいです。

今は独学で韓国語を勉強して20年近くたちます。

でも最初の頃はただ単語をちょこちょこっと覚える程度で、それほど上達しませんでした。

本格的に勉強を始めたのは2年程前です。

本格的にとは言っても、韓国語教室に通うわけでもなく、本当に自己流だったし、やったりやらなかったりを繰り返し、今に至っています。

それでも、道案内に関してはほぼ100パーセント、韓国人旅行者の願いに答えている自信があります。

私はそれをさらに進めて、日常会話まで出来るようになりたいと考えています。

ではまず初めに、なぜ韓国語を本格的に勉強しようと思ったのかをお話ししようと思います。

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韓国語を独学で会話できるようになりたい!

え~、私が韓国語を本格的に勉強したいと思うようになった理由は大きく3つあります。

1、仕事で左遷されてしまったので仕事中に暇をもてあましていたから。

2、何かを努力して身に付けたという自信をつけたい。

3、子どもに良い手本を示したい。



私は仕事で左遷されまして、スゴく暇を持て余していたんです。

懲戒解雇の次に重い処分が降格処分つまり左遷です。

「あなたはウチの会社には要らないよ!」

と宣告された訳ですね。

だからとっても簡単な部署に異動しました。

ただそこにいるだけ!

ただボーッとしているだけでお給料がもらえるので、最高の環境なんですが、人間って不思議なもんで「誰かの役に立ちたい!」って思うんですよね!

そして私はこれまで努力して何かを手に入れたというものがありませんでした。

たからこの暇な時間を利用して何かを努力して身に付けたいと思ったんです。

そして子どもたちにも努力するお父さんの姿を見せたいと思いました。

たまたま職場の前には外国からの観光客がウロウロしていたので「そうた!韓国語やってみよう!」と思ってしまいました。

では『なぜ韓国語なのか』を説明します。

それは一番身近にあった外国語だったからです。

「一番身近って、それは英語じゃないの?」

ほう、そう言われてみれば、たしかにそうですね。

じゃあ、二番目に身近な外国語だったからですね。キッパリ!

「ふ~ん、じゃあなんで英語じゃなくて韓国語にしたの?」

はい!、それは、人と同じことをしたくなかったからです!キリッ!

「あんた、相当なあまのじゃくやね~!」

はい、そうなんです。

でも、子どもの頃は、親や学校の先生から「良い子」の評価をもらっている優等生だったんですよ~!

「じゃあ、どこで人生踏み間違えたん?」

ううっ、そんなこと、今ここで私に言えって言うの?! あんた鬼だ!

「えっ、だってそれが韓国語との出会いのきっかけなんでしょ?」

そりゃ、そうだけど・・・?

わかりましたよ!、言えばいいんでしょう!、言えば・・・!

「そのとおり!、言えばいいんだよ~!」

韓国語を勉強したいと思ったきっかけは仕事に悩んでいたから

思い返すこと5年前、私は仕事で左遷されました。

私の仕事は運輸関係でそこそこ名の知れた会社で働いていたんですよ~。

とは言っても、その下請けの会社でしたけどね。

地方の小さな支店を任され、部下は7人いました。

それが突然都市部の大きな支店に異動が決まりました。

平社員としてね。

そこは社員が50人もいるところで、しかも一番の下っ端です。

そこの上司連中は私の同期や後輩たちも多くいて、とても恥ずかしかったですね。

なにもやる気が起きなくて、3年間は夢遊病者のようにボーッとしていました。

よく辞めなかったなと今でも不思議に思います。

そして、2年前からやっと今の境遇を前向きに受け入れることが出来るようになりました。

そこで何か新しいことに取り組んでみようと思ったんです。

私の職場は、観光地のど真ん中です。

だから観光客がたくさん訪れます。

しかも、制服着て椅子に暇そうに座っているものだから、

観光客は声をかけやすいみたいです。

最近インバウンドほにゃららで海外からの観光客がとても増えていますよね。

ウチの街にもたくさんの外国人観光客が来ますよ。

英語では、「Go straight and turn right!」とか、「Go downstairs and turn left!」などと、

ある程度の表現が出来るんですが、中国語、韓国語となるとサッパリプーでした。

この時、なんだか悔しくって、悔しくって仕方ありませんでした。

昔、少し勉強したことあるのに、なんで話せないんだろう?!

優等生のプライドが許さないってのも手伝ったんだと思います。

「左遷されたことをいつまでも悔やんでいたって状況は変わらないな!」

「よしっ、環境は自分で変えていかなきゃ!」って思えたんです。

そして、だんだんと「韓国語をマスターしてみよう!」と思うようになりました。

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仕事の中で韓国語を勉強したいと思った理由は仕事が上手く行ってなかったからなんですね。

でもまだスッキリしませんね。

仕事が上手く行かなかったというのは、理由と言うよりもキッカケですよね。

もっと私の意識の深いところに、韓国語でなければならない理由があるのではないでしょうか?

と言うことで、私の韓国とのかかわりを、少しさかのぼって探って見たいと思います。

韓国との出会いは高校時代の大先輩で朝鮮陶磁器の第14代窯元の方

私の高校は九州の田舎町の旧制中学をルーツに持つ進学校でした。

その高校の卒業生に朝鮮陶磁器第14代窯元の方がおられます。

高校では毎年一回、さまざまな方面で活躍しておられる方をお招きし、

講演会を開いてくれたんです。

その中のお1人が朝鮮陶磁器第14代窯元の方でした。

その方は、私の高校(旧制中学時代)の卒業生ですが、

朝鮮半島出身者と言うだけで、上級生に呼び出されてはよく殴られていたそうです。

建物も戦前のままという歴史のある校舎だったので、

「体育館の裏のあのあたりかな?」などと、当時のことを想像していました。

そのときすでに息子さんに代替わりしていましたが、

息を上手くコントロール出来ないと陶磁器がゆがんでしまうことを

息子さんが経験によって悟っていく場面などを覚えています。

これが韓国とのかかわりの原体験です。

それから、仕事をするようになってだいぶ経過してからのことですが、

「開聞岳」という本を図書館で見つけました。

開聞岳というのは鹿児島県薩摩半島最南端に位置する山です。

薩摩富士とも言います。

私はこの山に登ったことがあるんです。

私が高校生の頃に家族でこの開聞岳に登り、

帰りに道に迷い反対側の麓に出てしまいました。

だから帰るのがとても大変だったのを覚えています。

その本は神風特攻隊の中で朝鮮半島出身者のことを書いた本でした。

神風特攻隊の中に朝鮮半島出身者が11名おられるそうですが、

陸士予科士官学校から航空士官学校に進んだ56期生、高山昇中尉のお話しです。

高山昇中尉の本名は、崔貞根(チェ・ジョングン)といいます。

高山昇中尉は出撃の少し前、同僚の日本人に

「・・・俺は天皇陛下のために死ぬというようなことは、できぬ」と打ち明けています。

そんな高山中尉がなぜ敵艦に突入していったのか、その真意を探っていきます。

私も高山昇中尉の気持ちを知りたいと思いました。

私が同じような立場だったら、高山昇中尉と同じような行動を取れるであろうか?

この時の問いは今だに解決していません。

今でも続く私の課題の一つです。

これが、私の韓国との出会いです。

おそらく、この二つの体験が私の意識しないところで私の心に働きかけているのではないでしょうか。

まとめ

仕事で左遷された私がモンモンとしている時に、次なる目標を与えてくれたのが韓国語です。

韓国語は決して自己主張をせず、ただじっとそばにいてくれた友人のような存在です。

仕事の煩雑さから開放された今、この旧友とじっくり向き合ってみたいと思うのです。

ぜひともしっかりと学んで、日常会話が出来るところまで引き上げていきたいと思います。

そしたら、未だに解決していないあの課題の答えが見えてくるのかも知れません。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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韓国語の効果的学習方法。Google翻訳アプリは辞書。その使い方。

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