先週2018年6月18日の朝8時前に大阪北部を震源とする地震が発生しました。
おかげさまで家族全員無事でした。
私はその時大阪梅田の職場から兵庫県の川西市まで17kmの距離を歩いて帰りました。
昨日の記事で、その日その時私がどのように被災し、どのような状況だったのか、そしてどのように考えて歩いて帰ると決めたのかについて詳しくお話ししました。
本日はその第二弾。
実際に歩いてみた感想や周りの状況などを詳しくお話ししたいと思います。
あなたの参考になれば幸いです。
大阪北部地震の体験記。徒歩で帰宅したときの状況!梅田から庄内まで。
まず先日の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
そして怪我された方や被災された方が早く通常の生活を送れるように祈っています。
【 梅田から十三まで 】
梅田から兵庫県の川西市までは国道176号線が便利です。
176号線を「イナロク」と呼んでいます。
出発地点はヨドバシカメラマルチメディア梅田店です。
ヨドバシカメラと新阪急ホテル、ファーストキッチン、ジャンカラのある交差点が「芝田1丁目」交差点です。
この道を北に進むと176号線です。
車はここから高架に上がりますが、人は下の道をエッチラオッチラ歩いていきます。
地震当日は昼の11時過ぎでしたが、たくさんの人たちが十三方面へ向けて歩いているところでした。
左手に済生会中津病院でやや左にカーブしています。
阪急電車の線路と平行して走っている十三大橋を渡ります。
歩道が狭くて少し歩きにくかったです。
橋を渡っている時に、空っぽの電車が梅田から十三方面にゆっくり動いていたので「そろそろ復旧するかもしれない」と思いました。
実際には4時まで乗れなかったんですけどね。
おそらく、駅と駅の間に放置された電車を少しずつ近くの駅へ移動を開始していたんだと思います。
この先も阪急電車の線路のそばを何度か通りましたが、動いている電車を見たのはこの1回だけでした。
【 十三から庄内まで 】
「十三」交差点は三叉路になっていて右へ進むと176号線、豊中方面です。
ちなみに、左へ進むと県道41号線で尼崎や園田方面へ行けます。
「十三」交差点を過ぎると阪急神戸線を渡ります。
大阪府淀川警察署の前を通過します。
この辺りもたくさんの人たちが歩いて移動していました。
【 車の渋滞状況 】
車は梅田方面が大渋滞していました。
信号が変っても進めるのは2~3台でした。
なぜなら横の道からもたくさんの車が176号線に流れ込んでいるからです。
一方豊中方面はほとんど車が走っていませんでした。
家に帰るとき父から「車で迎えに行こうか?」と聞かれましたが、「歩いて帰れるから大丈夫!」と断っていました。
実はその時、渋滞のことなんか頭になかったんです。
私はただ「歩いて帰ってみたかった」んです。
実際に車渋滞状況を見て「地震の時は渋滞があたりまえだよなあ!」と思いました。
だって私でさえも「車で帰ろうかなあ!」と考えていたんですから。
人間ってあとから冷静になって考えれば分かることでも、その場にいる時は冷静に判断できないものなんだなあと思いました。
おそらく多くのみなさんが同様に「電車が動かないから車で!」という発想で動いた結果ですね。
その結果が大渋滞!
「地震の時には歩くのが一番!」と言うのは常に頭に入れておきたい戒めだと思いました。
【 昼食 】
しばらく歩くと「新高1丁目」交差点のところにコンビニがあったのでここで昼食を摂ることにしました。
時間は13時前でした。
お店で購入したものを座って食べることの出来るスペースが一つだけ空いていたので、座って食べることが出来たのでラッキーでした。
お弁当はほとんど売り切れていましたが、パンやおにぎりはまだたくさんありました。
他に5人のお客さんが昼食を摂っていましたが、その中の2人は営業の仕事らしく会社との連絡で「ちょっと○○さんへは行けそうにない!足がないから!」と話していました。
確かに目の前の道路は大渋滞でノロノロ運転です。
歩くほうが早いです。
【 自転車屋さん 】
道の途中に自転車屋さんが何件かありました。
ビジネスマン風の年配のおじさんが、仕事でどうしても回らなければならないと店員さんに話をしているのが聞こえてきました。
なるほどこんな状況の時は自転車を購入して移動すると言うのも一つの選択肢としてはアリだなと思いました。
自転車は時速12kmと言われています。
梅田から川西までは17kmなのでおよそ1時間30分で移動できます。
自宅が川西よりももっと遠い人は自転車購入が良さそうですね。
【 家の状況 】
娘が高校から帰宅していました。
LINEで連絡がありました。
中1の弟は登校中に揺れを感じて自分の判断で家に帰ったこと、小学生の弟2人をおじいちゃんと一緒に迎えに行って、みんな家にいること、お母さんはパートで普通に仕事して帰ってくる予定であることなどの情報を得ました。
LINEも長く使うと回線がパンクするのではないかと思って簡単に済ませました。
【 再度歩き始める 】
お腹も膨れて、家の状況も分かったところでまた歩き始めました。
歩いて帰る人の流れは相変わらず多かったです。
神崎川を越えました。
そこのあるうどん屋さんは臨時休業していました。
「庄内東町6丁目」交差点で阪急宝塚線の高架を潜(くぐ)りました。
電車の走っている気配はありませんでした。
大阪北部地震の体験記。徒歩で帰宅したときの状況!庄内から豊中まで。
庄内を過ぎると梅田方面の車は相変わらずでしたが、豊中方面の車も混雑を始めました。
【 沿道の被害状況 】
庄内の辺りで地震による被害をいくつか見つけたので書きます。
○材木屋さん
材木屋さんで店の中に立て掛けていた材木が倒れて店の中が大変なことになっていました。
お店の方はまだ片付け作業も開始できない様子でした。
○古いビル
歩道にバリケードが張ってありました。
どうも古いビルのコンクリート片がはがれて落下したようです。
30センチメートルくらいのコンクリート片が落ちていました。
余震による被害を想定して、バリケードを張って下を人が通らないようにしていることが分かりました。
○側溝の盛り上がり
ビルには異常がないものの、道路との境目の側溝が盛り上がっているところがありました。
おそらく地震の揺れにより、最も弱いところが盛り上がったんだと思います。
【 ジョギング開始 】
庄内を過ぎた辺りで「そうだ走ってみよう!」と思い付きました。
なぜならば「ずっと同じ姿勢で歩き続けるのは足に良くない!」と考えたからです。
高校生の時に、50km歩行訓練というイベントがありました。
学校から50km離れたところまでバスで連れて行かれ、「は~い、じゃあここから歩いて学校まで帰ってね!」とバスを下ろされるんです。
全校生徒、そこからノロノロと歩いて帰るんですが、みんな数日間階段も登れないほどに足腰にダメージが行くんです。
その時の陸上部の友達の一言を今でも覚えています。
「同じ筋肉ばかりを使うから足腰痛めるんだよ!歩いたり、走ったり、横歩きしたり、後ろ歩きしたり、休んだりを繰返していけば相当長く歩いても大丈夫なんだ!」
途中に自動販売機もあって、水分の補給は問題なしでした。
あとはトイレですが月曜日の昼間なので豊中市役所が使えるだろうと予想して走り出しました。
「おおっ!意外と良い感じ!」
軽快な走りでした。
息があがったら歩いて、息が整ったらまた走ってを繰り返しました。
次は阪急豊中駅で休憩しようと決めていたので、無理のない範囲で走りました。
気温もあまり高くなくて良かったです。
【 豊中市役所 】
豊中市役所は普通に市民が住民票の申請などを行なっていました。
ここでちょっとトイレを借りました。
夜間に帰るときにはコンビニやガソリンスタンドを借りなければなりませんね。
今回の地震はライフラインがまだ生きていたので助かりましたね。
水道や電気まで止まったら、自販機で飲み物を買うことも出来ないし、トイレもどうなるか分かりませんからね。
【 阪急豊中駅 】
14時30分ころ、阪急豊中駅にて休憩しました。
東側に広場があってベンチがたくさんあるんです。
このベンチで一休み。
お昼ごはんに買って食べきれなかったパンをかじります。
ここでも家の娘にLINEで情報収集。
弟たちは「よしもと新喜劇」の録画をみているとのこと。
娘は勉強しているそうです。
地震の日なのに、まじめですな!
20分ほど足腰を伸ばして、また出発しました。
ここからは買い物などで歩き慣れている道なのでもう安心です。
大阪北部地震の体験記。徒歩で帰宅したときの状況!豊中から川西まで
ゆっくり休めたので、元気になりました。
やはり歩き続けるのは身体に悪いですね。
今度も元気な時には軽くジョギングしました。
阪急電車の高架下を走って直射日光をなるべく避けるようにしました。
と言ってもそのような場所はほんの少ししかありませんでした。
【 渋滞状況 】
この辺りから梅田方面は空いてきて、逆に川西方面が混雑しはじめました。
私が歩いても道路にいつも同じ車がいました。
川西方面の車が時速4kmしか出ていなかったということですね。
【 阪急蛍池駅 】
阪急蛍池の南側の踏切がカンカン鳴っていました。
「おおっ!電車が動くのか?」と期待しましたが、そうではありませんでした。
駅員さんが「この踏み切りはしばらく開かないので、あちらの踏切を渡ってください!」と案内をしていました。
駅に電車が止まっていましたが、ドアは開いていて、乗客は誰も乗っていませんでした。
なるほど!駅に電車が入っているからその進行方向にある踏み切りは作動してしまうんですね。
これは今後の改善点なんでしょうね。
【 猪名川 】
走ったり、歩いたり、時にはスキップなんかもしましたね。
自販機ではペットボトルの飲み物を3本も消費しました。
そしてなんとか無事に猪名川を越えることが出来ました。
ここまでくるともう庭のようなものでほっとしました。
そして自宅に着いたのは16時05分でした。
梅田から実に5時間かかっていました。
結構疲れましたが、17kmを歩いて帰って来れたという達成感が大きくて、とても嬉しかったです。
家族が無事だったことももちろんあります。
家はガスが止まったままでしたが、ガスメーターに書いてあった復旧方法を試したら、ガスも復旧しました。
シャワーを浴びて身体を休めることが出来ました。
感想
今回地震で電車が止まって梅田の職場から川西の自宅まで歩いて帰りました。
次にもし、地震があったらまた歩いて帰ろうと思います。
「もっと大きな地震だったらどうするの?」
「小さな地震でも歩いて帰るの?」
その時々で状況は様々ですから一概には言えませんが、「梅田から川西まで、歩いて帰れる!」このことを身体で理解したことは大きな収穫でした。
人から聞いてそう思うのと、自分で実際に体験して思うのとでは実感が違いますからね。
「夜遅くならどうするの?」
そうですよね~!
う~ん、私もその時になって見ないと分かりませんね~!
まっ、いっか!