こんにちは。

「ありがとう5万回」を実践したおかげで、

左遷された恨みを乗り越えることが出来たと以前お話しましたね。

「でも、そもそも何をやらかしたんだろ?」とあなたは疑問に思っているはず!

だってもしも自分で左遷の原因を作ったのなら、

悩むのではなくて仕事のやり方に対する反省が必要ですよね。

今回は私が左遷された当時のことを振り返り、

原因がどこにあったのかを調べてみたいと思います。

私に必要なのは悩みの解消なのか?

それとも仕事のやり方に対する反省なのか?

仕事で左遷されたあなたの参考になれば嬉しいです。

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ありがとう5万回の効果は?左遷された時のこと。

「いったい、何をやらかしたんですか?」

「横領ですか?」

「パワハラですか?」

「えーっ、セクハラですか?そりゃ左遷されますよ!」

いえいえ、違いますよ!、そんなことではありません。

私が左遷されたのはこれです。

「会社の方針は間違っている!」と言ったからです。

しかも、何度も言いました。

何度もというより、「いつも」言ってました。

支店長会議でも、必ず役員にケンカを吹っ掛けていました。

ケンカと言っても殴ったりしたわけではないんですが、

会社の方針は間違っていると言い続けました。

なので個別に本店に呼び出されて説教されることもありました。

私は「これはチャンスだ!」と思い、本店でも持論を展開しました。

本店の課長と課長代理の3人で何度も話をしましたが、

課長と課長代理は「会社の方針だから!」を繰り返すばかり。

いつも平行線で課長代理の「あなたは自分で会社を起こすしかない!」

の決めゼリフで説教が終了。

こんなことを繰り返していました。

「昔のあなたが良かった!」と何人もの上司に言われました。

こんなことが3年ほど続いたでしょうか。

ある支店長会議の席で、帰りに本店に立ち寄るように言われました。

「さあ、今日はどんな話をしようかな♪」と

いつもの調子で課長と課長代理の前に座りました。

その日は部長も来られていたので、

「よっしゃ!部長にも私のお話を聞いてもらおう!」と意気込んでいたら、

なんか怪しい空気でした。

そして、1枚のレポートを提示され、こんな質問をされました。

「これはあなたが書いたものですか?」

私は「はい、そうです!」と答えました。

さらに「ここに書いてあることは会社の方針に反することがかかれているが、

今でもそのように思っているか?」と聞かれました。

「はは~ん、私の言質を取りにきたな!」と感じたので、

私は言葉を選んで次のように答えました。

「私がこのようなレポートを書いたのには理由があります!」

しかし、その言葉は課長には届きませんでした。

「あなたの立場は会社の方針を部下に伝えることでしょ!」

そして、社長が書かれた降格通知書が読み上げられ、

私の左遷が言い渡されました。

通知書には、「支店長の立場にありながら、

会社の方針に反した指示を出し、支店を混乱させた。

支店長としてあるまじき行為であり一般社員へ降格を命ず。

と書いてありました。

そしてその降格通知書にサインと捺印を求められました。

私が「サインしなかったらどうなりますか?」と尋ねると、

「社長が判断されます」とのこと。

私は悩みましたが、結局サインしました。

これで私の左遷が決定し、私も承諾したということになりました。

これが降格通知書をもらったときの状況です。

後日異議申し立てをしても通知書に私のサインがある以上は、

解決済みということで受け付けてもらえないのだと思います。

5日後に都市部の本店に戻され、本店の平社員として働くことになりました。

私は身の回りの整理をして、新しい支店長にバトンを渡しました。

新しい支店長は、私より3才若い支店長代理がそのまま昇格したので、

引継ぎは簡単に終わりました。

ありがとう5万回の効果は?左遷されて落ち込む。

本店はもともと私の古巣だったこともあり、

役員クラスには私の同期や後輩もいます。

なので、とても恥ずかしかった!

だれも私の話を聞いてくれなかったし、

平社員になった途端に見下してくるヤツもいて、正直しんどかったです。

それから5年の間は、何もやる気が起きなくて、夢遊病者のようにしていました。

いつも、ボーッとしていました。

仕事は納品業者の受け付けのみで、完全に窓際族(懐かしい言葉!)でした。

「私はなぜ左遷されてしまったのだろうか?」

「なぜ会社は私の言葉に耳を傾けてくれないのだろうか?」

「なぜ会社は事前通告もなしに突然左遷するのだろうか?」

「課長代理が憎い!」

「課長も憎い!」

「部長はハゲのくせに!」

あれっ?ハゲは関係ありませんね。

ま、とにかくこんな感じで会社に対する恨み節にまみれた毎日でした。

人と話しをしなくなりました。

もともとおしゃべりではありませんでしたが、

ますます話さなくなりました。

本店の平社員は知らない人が多かったので、

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向こうから話しかけられることもなし。

おそらく、「だいぶ変わった元支店長が左遷されてやって来た」と

近寄りがたかったんだと思います。

そんな感じでしたので、私の味方をしてくれる人は1人もなく、さびしかったです。

自分を支えているものがなくなったというか、

きっと支店長という肩書きが自分を支えていたんだと思います。

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しかし、嬉しいこともありましたよ。

本社のアホな指示が来なくなりました。

本店には会社からのアホな指示が強い圧力で降りてきますが、

途中に何枚ものフィルターがあるので、少しづつ薄まって、

私のところに来る頃には、あやふやな指示に変化しております。

って言うか、「本社の指示が末端まで伝わらないって、こんなんで、いいのかよ!?」

とも思いますが、そんなことを心配する立場でもないので気が楽です。

仕事は納品業者とのやり取りがメインです。

納品業者とは仲良く出来たので楽しかった。

また時々通りすがりの観光客から道を尋ねられて道案内をしています。

近頃は海外からの観光客も多くて、韓国語での道案内にも挑戦しているんですよ。

韓国語での道案内のことについては別の所で詳しく書いておりますので、

そちらを参考になさってください。

そんな人たちとの何気ない会話は楽しいものです。

会社の人間関係が最悪だったので、納品業者や観光客の道案内に投入できたのかも知れません。

ありがとう5万回の効果は?左遷された原因は何?

では私の左遷の原因って何なんでしょうね?

私が支店長時代に一番引っ掛かっていたのは、

自分の納得出来ない指示を部下に伝えることなんて出来ない!

と言うところでした。

「こんなん、バカじゃないの?」と思うことがたくさんあり、

「こんなこと、部下に言えないよ!」と言うのがたくさんありました。

だから部下に対しては「会社はこのように言っているが、

私は間違っていると思う。私はこう思う。」と常々言っていました。

図書館でも本を借りてマネジメントの本をたくさん読んでいました。

経営に関する本もたくさんあって、たくさんの名物経営者とも本の上で、

お会いすることが出来ました。

私のお気に入りは、未来工業の山田昭男会長、東レ研究所の佐々木常夫社長です。

上司とは何か?

いろいろと考えさせられましたし、自分でも動き始めていました。

佐々木社長からは、「現場の声を上に伝えるのが係長の役目だ!」と教えていただいたし、

山田会長からは「常に考えよ!」と教えていただきました。

私はそのような影響を多く受けながら、自分の支店長としての役割を自覚し、

会社に意見を上げ続けていたのです。

課長代理に「自分で会社を起こすしかない!」といつも言われていたことから、

「私の考えは一理あるけれども、今の会社では無理だ!」と

言われていたのかも知れませんね。

そうか、それを無理に通そうとして「返り討ちにあった!

というところが私の左遷の原因に思えてきましたよ。

左遷されてから、「私の言い方に問題があったのかも知れない。

別の言い方に変えてもう一度がんばろう!」と思ったときもありました。

組合があったので、組合を通して誤解を解いてもらおうとも考えました。

でも会社相手に闘ってくれそうな組合ではありませんでした。

まとめ

5年前に左遷されたのはなぜか?

「あなたの目は節穴(ふしあな)でございますか?」なんて平気で言ってましたからね。

そりゃ左遷されますよ!

私の左遷は自分でまいた種でした。

今の時代、左遷されるなんてあまりありませんよね。

だからこそ、左遷されたらとても悩むんですよ。

私は5年間悩みました。

もっと早くに「ありがとう5万回」に出会っていたら、

こんなに悩まなくて済んでいたかも知れませんし、

私の人生、会社人生はもしかしたら大きく違った展開になっていたのかも知れません。

「ありがとう5万回」に挑戦したおかげで、

今こうして左遷の恨みに向き合えるようになりました。

私が「ありがとう5万回」に具体的にどう取り組んだかは

また別の所に書いておりますのでそちらを参考になさってください。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

あなたが「ありがとう5万回」に取り組めるように、あなたの背中をそっと押します。

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